岡山、倉敷など、県内の心霊スポットを教えてくれませんか? いろんな心霊スポット待ってます!!
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あんこ婆ぁの立つ路地倉敷の名物は何であろうか。人それぞれ推薦するものが違うとは思うが、やはり伝統あるものとして一番に挙げるのは「むらすずめ」であろう。それに続くモノとして「藤戸饅頭」また、それらほどで技巧的でない一般大衆的な味として「えびす饅頭」がある。「えびす饅頭」と呼ぶのは、たぶん当地だけであり、今川焼きとか大判焼き、あるいはドラ焼きなどと称した方がヨソからこられた方には分かりやすいに違いない。これは元戎町と称する場所で製造・販売していたのに由来する・・・と判断できるのだが、生粋の倉敷っ子はこの饅頭を「ふうまん」と呼ぶ。この名は「ふぅふぅ言いながら食べる」とか「夫婦で楽しんで食べる」などと、その由来も判然としないまま、秋・冬・春の3シーズン、香ばしい匂いと温かさをともに楽しむのがダイゴミだ。現在のように、甘さが味覚の単なる一要素として扱われたり、あるいはダイエットや成人病の敵として位置づけられるようになっては、その感覚も鈍ってしまうが、とにかくわれわれは味覚の中で、甘さを至上最高のモノとして求め続けてきたこと忘れてはならない。「甘い」と書いて、フリガナをふれば、現代人は「あまい」とする。が、第二次世界大戦の終了後10年程度経つまでは、多くの人が「うまい」としていたのに違いないのだ。そう、甘さが溢れはじめたのは、人類の歴史の中の、ごく最近のしかもわずかな期間であることを認識すれば、倉敷の名物に対する理解が深まろうというものである。さて、前置きが長くなったが、今回紹介させていただくミステリー・ゾーンは、そんな「甘さ」にまつわるものと言えるだろう。場所は、本町幹線(正式名称・倉敷中央通り)を倉敷駅を背にして南下、美観地区に入る通りを左折し、饅頭屋・みやげ物屋などを見ながら進むと、左手にある約3mほどの幅の、南北に通る路地である。この道の突き当りは、元はA文舎という本屋であったが、現在は移転して空き家状態となっている。その手前左側角が、旅館の「N萬」である。この「N萬」の勝手口は、幅が約90cm、奥行き50cmほどのくぼみになっている。夕暮れ時、いわゆる「たそがれ時」に、この路地を通ってはならない。何も持っていなければ問題ない。しかし甘い物・・・例えば、饅頭・アンパン・お菓子などを持って通ると、必ずこの「N萬」の勝手口にのくぼみに、老婆が立っているのが見えるそうだ。なぜあんなところに婆ぁさんが立っているのかな?などと注意をそちらへ向けようものなら、一瞬にしてお菓子ごと、頭から食べられてしまう・・・そんな言い伝えがある。陽の当たらない、いかにもひなびた路地であるにもかかわらず、時折、この小路を写生している人を見かける。何にひかれてキャンパスを立てるかは分からないが、不思議な雰囲気が漂っていることだけは間違いないように思う。この話を教えてくれた私の友人は、30代後半となった今でもこの路地を通ろうとしない。大回りになっても元町幹線まで出るのだ。笑い飛ばしている私自身、好物のうぐいすパンとふうまんを自転車の前のカゴに入れた時は、この道を通らないようにしている。1996年1月発行「月間どんぶら」より
ここ一番のビッグニュースですね。キングオブポップスのマイケル氏...結局買おう買おうと思ってて未だにCD買ったことないですが、当時親父の買ってきたLDのスリラーには感動して、小学生ながら何度も観て「カッケー!!」て思ったものです...追悼的なベスト盤CDが発売されたら今度こそ買おうかと思います。と、トピ内容と随分外れてしまいまして申し訳ございません。ワイドショーのアナウンサー並みに話題をコロッと変えて...「さて、次の話題は岡山の心霊スポットです」私ども倉敷っこにとって欠かせない心霊スポットはやはり「古城池トンネル」でしょう!昔は合戦場でかなりの死者が出て、落ち武者の霊がでるとか、生首が飛んできて車内を通り抜けるとか、夜中の12時に軍服を着た兵隊が行進をしているとか、かなりバラエティーのある心霊現象の豊富な「古城池トンネル」!今では二つになってしまい、心霊も多分出る方を迷っちゃうんじゃないのかと思いますが、くらしきではキングオブ心霊スポット的な超有名な場所ですね。福田から倉敷駅に向けて抜けたところにある電話ボックスには首のない白い服の女性(だったかな?)が出現する的な話も聞きましたが、いまではその電話ボックスも携帯に押されて撤去されてしまい、心霊も動物たちも資本主義の荒波の世界では住む場所を追いやられてしまうのか...と寂しい気持ちにもなります。小学生の時に笹沖の土曜夜市に自転車で山を越えていく時に、古城池トンネルを過ぎる時は本気でビビってたものです。しかしその後、土曜夜市ではしゃいで、いかにもな怖いお兄さんにぶつかった時は、古城池トンネルを越える時よりも心拍数があがりました。まぁそんな古城池トンネル、今ではかなり深夜でも交通量が多いですが、古き良き心霊スポットに皆さまどうぞ1度はお立ち寄りください。
由加山にあるという「お札の家」ですね・・。僕は「お札の家」の話はネットでしか聞いたことがないんですが、なんでも琴浦北小学校の近くに誰も住んでいない民家があるらしく、なんとその民家の壁には無数のキモチ悪いお札が貼られていてその佇まいといったら相当に薄気味悪くて超ガクブルものらしいです・・。それに、出るらしいです。なにがって、幽霊が。。でもなんか最近調べなおしてみたら、最近なくなっちゃったみたいです。早く見ておけば良かったなぁ、と少し後悔してるカンジです。
種松山にトイレがあるらしいんですが、そこのトイレはどうやってもカメラに写せないそうです。そのころは、「写ルンデス」全盛期でしたが、カメラでトイレを写そうとしてもまったくシャッターが押せないとか、遠くから撮影できても現像したら、そこにあるべきはずのトイレが写ってないとかありましたあとアスレチックのある公園では姿が消えかかっている少年が現れるというのもきいたことがあります(怖)
もう20年くらい前、大学のサークルの合宿と称して、岡山市赤坂台にある「青年の家」に宿泊しました。後輩に「見える子」がいまして、館内のあちこちに影みたいなものがいたらしく敷地に入った時から変な感じがしていたそうです。借りていた大広間には、最初はいなかったのに、換気で窓ガラスと障子を開けたとたんに、ドドドッとたくさんの霊が入ってきそうです。その晩は、ずっとテーブルの下から手が出ていたり、部屋の片隅の影たちが固まっていたらしいです。霊感のない私ですが、ベッドで寝ているときに、2回くらい足を引っ張られる感覚で、目が覚めました。建物のすぐ裏は、東山(?)の霊園があります。そこで眠る人たちが寄ってきたんだそうですよ。
県南に住んでる人でしたら小学校のお泊り研修で行ったことがあるかも?僕の通ってた学校では「海の学習」って言ってました。なんでも真夜中になるとグラウンドにある「手旗信号をしてる石像」が動き出すとか・・。もちろんビビリーな僕はそのとき早々と眠りについたので真偽のほどは不明です。「上げてる旗が変わる」とか「涙を流す」とか「走り回る」とか、パターンはいろいろあるみたいですが、走り回るのだけはカンベンですよね・・。そういえば男の子がベッドから落ちて死んじゃった部屋があるのはこの渋川青年の家でしたっけ?それとも由加の少年自然の家でしたっけ・・?
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倉敷みすてりいぞ~ん
あんこ婆ぁの立つ路地
倉敷の名物は何であろうか。
人それぞれ推薦するものが違うとは思うが、やはり伝統あるものとして一番に挙げるのは「むらすずめ」であろう。
それに続くモノとして「藤戸饅頭」また、それらほどで技巧的でない一般大衆的な味として「えびす饅頭」がある。
「えびす饅頭」と呼ぶのは、たぶん当地だけであり、今川焼きとか大判焼き、あるいはドラ焼きなどと称した方がヨソからこられた方には分かりやすいに違いない。
これは元戎町と称する場所で製造・販売していたのに由来する・・・と判断できるのだが、生粋の倉敷っ子はこの饅頭を「ふうまん」と呼ぶ。
この名は「ふぅふぅ言いながら食べる」とか「夫婦で楽しんで食べる」などと、その由来も判然としないまま、秋・冬・春の3シーズン、香ばしい匂いと温かさをともに楽しむのがダイゴミだ。
現在のように、甘さが味覚の単なる一要素として扱われたり、あるいはダイエットや成人病の敵として位置づけられるようになっては、その感覚も鈍ってしまうが、とにかくわれわれは味覚の中で、甘さを至上最高のモノとして求め続けてきたこと忘れてはならない。
「甘い」と書いて、フリガナをふれば、現代人は「あまい」とする。
が、第二次世界大戦の終了後10年程度経つまでは、多くの人が「うまい」としていたのに違いないのだ。
そう、甘さが溢れはじめたのは、人類の歴史の中の、ごく最近のしかもわずかな期間であることを認識すれば、倉敷の名物に対する理解が深まろうというものである。
さて、前置きが長くなったが、今回紹介させていただくミステリー・ゾーンは、そんな「甘さ」にまつわるものと言えるだろう。
場所は、本町幹線(正式名称・倉敷中央通り)を倉敷駅を背にして南下、美観地区に入る通りを左折し、饅頭屋・みやげ物屋などを見ながら進むと、左手にある約3mほどの幅の、南北に通る路地である。
この道の突き当りは、元はA文舎という本屋であったが、現在は移転して空き家状態となっている。
その手前左側角が、旅館の「N萬」である。
この「N萬」の勝手口は、幅が約90cm、奥行き50cmほどのくぼみになっている。
夕暮れ時、いわゆる「たそがれ時」に、この路地を通ってはならない。
何も持っていなければ問題ない。
しかし甘い物・・・例えば、饅頭・アンパン・お菓子などを持って通ると、必ずこの「N萬」の勝手口にのくぼみに、老婆が立っているのが見えるそうだ。
なぜあんなところに婆ぁさんが立っているのかな?
などと注意をそちらへ向けようものなら、一瞬にしてお菓子ごと、頭から食べられてしまう・・・そんな言い伝えがある。
陽の当たらない、いかにもひなびた路地であるにもかかわらず、時折、この小路を写生している人を見かける。
何にひかれてキャンパスを立てるかは分からないが、不思議な雰囲気が漂っていることだけは間違いないように思う。
この話を教えてくれた私の友人は、30代後半となった今でもこの路地を通ろうとしない。
大回りになっても元町幹線まで出るのだ。
笑い飛ばしている私自身、好物のうぐいすパンとふうまんを自転車の前のカゴに入れた時は、この道を通らないようにしている。
1996年1月発行「月間どんぶら」より
かのマイケル氏もお亡くなりになりましたが...
ここ一番のビッグニュースですね。
キングオブポップスのマイケル氏...結局買おう買おうと思ってて未だにCD買ったことないですが、
当時親父の買ってきたLDのスリラーには感動して、小学生ながら何度も観て「カッケー!!」て思ったものです...追悼的なベスト盤CDが発売されたら今度こそ買おうかと思います。
と、トピ内容と随分外れてしまいまして申し訳ございません。ワイドショーのアナウンサー並みに話題をコロッと変えて...
「さて、次の話題は岡山の心霊スポットです」
私ども倉敷っこにとって欠かせない心霊スポットはやはり「古城池トンネル」でしょう!
昔は合戦場でかなりの死者が出て、落ち武者の霊がでるとか、生首が飛んできて車内を通り抜けるとか、夜中の12時に軍服を着た兵隊が行進をしているとか、かなりバラエティーのある心霊現象の豊富な「古城池トンネル」!
今では二つになってしまい、心霊も多分出る方を迷っちゃうんじゃないのかと思いますが、くらしきではキングオブ心霊スポット的な超有名な場所ですね。
福田から倉敷駅に向けて抜けたところにある電話ボックスには首のない白い服の女性(だったかな?)が出現する的な話も聞きましたが、いまではその電話ボックスも携帯に押されて撤去されてしまい、心霊も動物たちも資本主義の荒波の世界では住む場所を追いやられてしまうのか...と寂しい気持ちにもなります。
小学生の時に笹沖の土曜夜市に自転車で山を越えていく時に、古城池トンネルを過ぎる時は本気でビビってたものです。
しかしその後、土曜夜市ではしゃいで、いかにもな怖いお兄さんにぶつかった時は、古城池トンネルを越える時よりも心拍数があがりました。
まぁそんな古城池トンネル、今ではかなり深夜でも交通量が多いですが、古き良き心霊スポットに皆さまどうぞ1度はお立ち寄りください。
お目にかかる前になくなっちゃったみたいですが・・
由加山にあるという「お札の家」ですね・・。
僕は「お札の家」の話はネットでしか聞いたことがないんですが、
なんでも琴浦北小学校の近くに誰も住んでいない民家があるらしく、
なんとその民家の壁には無数のキモチ悪いお札が貼られていて
その佇まいといったら相当に薄気味悪くて超ガクブルものらしいです・・。
それに、出るらしいです。なにがって、幽霊が。。
でもなんか最近調べなおしてみたら、最近なくなっちゃったみたいです。
早く見ておけば良かったなぁ、と少し後悔してるカンジです。
種松山
種松山にトイレがあるらしいんですが、
そこのトイレはどうやってもカメラに写せないそうです。
そのころは、「写ルンデス」全盛期でしたが、カメラでトイレを写そうとしてもまったくシャッターが押せないとか、遠くから撮影できても現像したら、そこにあるべきはずのトイレが写ってないとかありました
あとアスレチックのある公園では姿が消えかかっている少年が現れるというのもきいたことがあります(怖)
もう閉館しているはずですが
もう20年くらい前、大学のサークルの合宿と称して、
岡山市赤坂台にある「青年の家」に宿泊しました。
後輩に「見える子」がいまして、
館内のあちこちに影みたいなものがいたらしく
敷地に入った時から変な感じがしていたそうです。
借りていた大広間には、最初はいなかったのに、
換気で窓ガラスと障子を開けたとたんに、
ドドドッとたくさんの霊が入ってきそうです。
その晩は、ずっとテーブルの下から手が出ていたり、
部屋の片隅の影たちが固まっていたらしいです。
霊感のない私ですが、ベッドで寝ているときに、
2回くらい足を引っ張られる感覚で、目が覚めました。
建物のすぐ裏は、東山(?)の霊園があります。
そこで眠る人たちが寄ってきたんだそうですよ。
渋川青年の家・・・
県南に住んでる人でしたら小学校のお泊り研修で行ったことがあるかも?
僕の通ってた学校では「海の学習」って言ってました。
なんでも真夜中になるとグラウンドにある「手旗信号をしてる石像」が動き出すとか・・。
もちろんビビリーな僕はそのとき早々と眠りについたので真偽のほどは不明です。
「上げてる旗が変わる」とか「涙を流す」とか「走り回る」とか、
パターンはいろいろあるみたいですが、走り回るのだけはカンベンですよね・・。
そういえば男の子がベッドから落ちて死んじゃった部屋があるのは
この渋川青年の家でしたっけ?それとも由加の少年自然の家でしたっけ・・?